書籍・文献上の納所文子


1 ディスコグラフィー
(1)「レコード関係資料」(岡田則夫、 1988年)(『近代庶民生活誌 第八巻』(南博(編者代表)、三一書房)に収録)
  日本で発売された出張録音レコードの目録が復刻されており、文子及び弁次郎の出張録音レコードに関しても、どういったものが発売されたのかを 知ることができます。

(2)『大正期SP盤レコード 芸能・歌詞・ことば全記録』全 11巻(倉田喜弘・岡田則夫(監修)、大空社、1996年-1997年)
  日本蓄音器商会(日蓄)初期のレコード文句集が復刻されており、文子及び弁次郎の日蓄レコードに関しても、どういったものが発売されたのかを 知ることができます。

(3)「ラクダ印オリエントレコード兩面盤目録」(1916年7月)
  1916年7月時点での文子の東洋蓄音器(オリエントレコード)での発売レコードを知ることができます。国立国会図書館東京本館の音楽・映 像資料室にて閲覧可能。

(4)「ウグヰスレコード両面盤目録」(大正5年7月改正)
  ウグヰスレコードは、東洋蓄音器の複写盤レーベルで、文子の日蓄レコードも複写して発売していました。1916年7月時点での発売レコードを 知ることができます。国立国会図書館東京本館の音楽・映 像資料室にて閲覧可能。

(5)「蓄音器文句集」 (八雲山人編、三芳屋書店、1915年)
  文子のオリエントレコード盤の歌詞カードが記載されています。国立国会図書館デジタルコレクションにてデジタル化されており、国立国会図書館 または図書館送信参加館の館内で閲覧できます。


2 事典類
(1)『明治の作曲家たち』(日本近代音楽館 編、2003年)
  納所弁次郎の説明ページに、「明治末から大正初期には娘文子とともに多くの唱歌を録音しており、アメリカ・コロムビアの出張録音、日米 蓄音器商会片面盤の録音など、日本レコード界黎明期の史料として注目される。」(26ページ)とあり、事実関係が正しく記載されてい ます。
  なお、本の巻末に、弁次郎の親族と思われる方が協力者として名を連ねており、全体的にも事実関係が正しく記載されているように見受けられま す。(弁次郎の出生地を「築地」と記載するなど)

(2)『[現代日本]朝日人物事典』(朝日新聞社編、1990年)
  納所弁次郎の説明ページ(1236ページ)に、「明治末期から大正初期にかけて、娘文子と共に初期の童謡(児童唱歌と称した)レコード を数多く吹き込み、人々に親しまれた。」との記載があります。
  なお、弁次郎の出生地は「東京都」としています。

(3)『日本童謡事典』(上笙一郎編、東京堂出版、2006年)
  納所弁次郎の説明ページ(308ページ)に、「大正中期頃に本居長世が各地で催される童謡音楽会に自身の三人の娘たちを少女歌手として 登場させると、そ れに倣い、娘の納所文子を歌手として起用、したがって納所文子という名も童謡歌唱史の上に記録されなければならないのである。」との 記載があります。
  なお、弁次郎の出生地は「宮城県仙台」としています。

(4)『日本の作曲家―近現代音楽人名事典』(細川周平・片山杜秀監修、日外アソシエーツ、2008年)
  納所弁次郎の説明ページ(508ページ)に、「大正年間には本居長世が自身の3人の娘に自作の童謡を歌わせたのに倣い、自身も娘の文子 を歌手に起用して多くの童謡をレコードに吹き込んだ。」との記載があります。
  なお、弁次郎の出生地は「江戸」としています。


3 面識があった人達の証言
(1)『唱歌のふるさと うみ』(鮎川哲也、 音楽之友社、1995年)
  「モモタロウ」の説明ページにおいて、文子の長女である米子にインタビューした内容が記載されています。基本的には、弁次郎との思い出を中心 に構成してありますが、文子のことも、「童謡歌手の第一号といわれた人」「大変な美人で、しばしば雑誌のグラビアなどに載っ たといいます」など、貴重な証言が色々記載されています。

(2)『オリジナル盤による明治・大正・昭和 日本流行歌の歩み 別冊解説書』(日本コロムビア、1970年)
  日本コロムビア創立60周年記念として発売された10枚組LPの別冊解説書に、堀内敬三が「日本コロムビア(日本蓄音器商会)の草創時代」と 題して、思い出話を寄稿しています。
  その中で、次のことを記述しています。
「桃から生まれた桃太郎」の作曲者納所弁次郎氏は少女歌手納所文子さんのピアノ伴奏をしていた。当時納所先生は 学 習院大学で唱歌を受持って おられたからピアノ伴奏などはお手のもので、東京音楽学校を明治二十年に卒業した大先輩だから小山作之助、田村虎蔵などという音楽学校系の先輩作曲家たち とは君僕の間柄であった。納所先生とは私がNHKに入った大正十四年以来の交遊であった。」(27ページ)

  堀内敬三は1897年生まれであり、弁次郎と交遊を持つようになったのは1925年であるとのことなので、大正初期の弁次郎・文子のレコード 吹込に立ち会っていたわけではないという点に注意。
  なお、本LPには、文子のレコードは「鉄道唱歌」(日蓄、1210)1曲が収録されているのみです。

(3)『レコード と五十年』(森垣二郎、河出書房新社、1960年)
  著者の森垣が日蓄で働くようになったのは1915年の末ということであるため、文子とのリアルタイムでの接点は惜しくもなさそうですが、 「会 社の文字どおりドル箱であった納所文子さん」(32ページ)「人気のあった童謡の納所文子」(68ページ)など、随所 に文子の記述が出てきます。

(4)『明 治西洋音楽揺籃時代の隠れたる先駆者 比留間賢八の生涯』(飯島國男、全音楽譜出版社、 1989年)
  納所一家と交流のあった、比留間賢八の伝記です。文子のことは直接書かれていませんが、比留間きぬ子が弁次郎夫人に宛てた手紙が掲載されてい ます。(117~124ページ)
  なお、巻頭には、比留間賢八が弁次郎とともに写った写真も掲載されています。


4 文子のレコードをリアルタイムで聞いていた人達の思い出
(1)『岡山音楽夜 話』(保田太郎、岡山文 庫、1970年)
  著者が小学生だった大正3、4(1914、1915)年頃の思い出として、「いろいろ種類のあったレコードの中で、私は主に戸山学校軍 楽隊の ものや、納所文子の歌った童謡が好きでした」(20ページ)と述べています。

(2)『思 想を織る』(武谷三男、朝日選書、1985年)
  1911年生まれの著者が6歳くらいの時の話として、次のようなエピソードを述べています。

そのころ初めて蓄音機というものを買ってもらったんです。レコードをいろいろ買ってもらったのが、納所文子とい う人の歌った文部省唱歌。 毎日、蓄音機にかじりついて、よく聴いたもんです。」(5ページ)

(3) 『垣通しの花』(金田一春彦、音楽鑑賞教育振興会、1980年)(『金田一春彦著作集 第十二巻』(金田一春彦、玉川大学出版部、2004年)に再録)
  1913年生まれの著者が子どもの時に聞いた本居みどりの童謡レコードを振り返り、次のように述べています。

今から見れば録音技術も不完全きわまるもので、音も小さかったが、しかしそれまでにあった唱歌のレコード――た とえば納所文子さんという ような人が父君の弁次郎氏の伴奏で文部省唱歌を吹き込んだものと比べると段違いに芸術的だった。私はますます本居氏のファンになった。」 (再録版 157ページ)

  間接的に文子のレコードがディスられているが、金田一春彦氏は本居長世の崇拝者なので致し方なかろう。(笑)


5 その他
(1)『童謡歌手からみた日本童謡史』(長 田 暁二、大月書店、1994年)
  日本の童謡史をレコード歌手という観点からふりかえるという先駆をなした書籍ですが、本居長世の3人の娘を、「日本における童謡歌手の 誕生」 (22ページ)として1番にスポットを当てており、文子のことは、「その他、古いところ」(33ページ)とし て、コロムビアで「レコード童謡」を吹き 込んだ歌手の1人として紹介するに留めています。

(2)『童謡・唱歌の世界』(金田一春 彦、教育出版、1995年)
  巻末に、各唱歌・童謡歌手の大正末期~昭和初期にかけてのラジオ出演回数の一覧表(金田一春彦氏調査)が載っています。納所親子の出演回数も 214ページに載っており、次表は抜粋してまとめ直したものです。
氏名
出演回数
備考
1925年
1926年
1927年
1928年
1929年
1930年

納所文子
0
1
5
3
1
0
10
後出の納所弁次郎の娘
納所弁次郎
0
1
2
0
1
0
4
唱歌の作曲家として著名
納所米子
0
0
1
2
1
1
5
上にあげた納所文子の娘
  残念ながら、当方の作成した「ラジオ出演一覧」とは、微妙に回数が異なります。



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