年 |
出来事 |
1896年4月23日 |
音楽教育家・作曲家である納所弁次郎の長女として東京にて生まれる。 |
1906年? |
天賞堂扱いの米国コロムビアレコードに自身初のレコードを吹込む。 |
1909年~1915年頃 |
日蓄及び東洋蓄でレコード歌手として活躍。 |
1910年4月 |
東京音楽学校選科に入学。唱歌とピアノを履修する。 |
1915年3月 |
東京音楽学校選科を修了。 |
1915年頃 |
結婚。 |
1917年頃 |
サンフランシスコで米子を出産。ニューヨークでピアノを研究。 |
1920年頃? |
・長男出産。 ・出産により心臓が弱くなり難聴に。 ・日本に帰国。 ・再婚して米子を東京に残し北九州へ。その頃、ピアノをドイツ人などについて勉強するが、心臓が悪く挫折。 |
1920年代? |
東京の実家に戻り、弁次郎とともに子どもたちにピアノを教える。後の藤山一郎が、当時慶応の学生
服で ピアノを習いに来る。また、マンドリンの比留間賢八・きぬ子も顔を出す。 |
1926年11月11日 |
弁次郎とともにラジオ初出演。以降ラジオにおいては、ピアノ伴奏とソプラノ独唱を担当。 |
1927年8月16日 |
米子、ラジオ初(?)出演。 |
1927年~1928年 |
日蓄から6面のレコードを新規吹込みし発売。 |
1929年7月28日 |
最後(?)のラジオ出演。(童謡ジャズ独唱) |
戦後 |
鎌倉で生活。(西洋)音楽関係者との交流は、唯一比留間きぬ子とのみ。 |
昭和20年代 |
ピアノをやめ、小唄を始める。 |
昭和30年代 |
長唄を始める。 |
1964年12月17日 |
死去。 |